教育される側から見るのは難しい
教育する側とされる側とがあり、する側から考えられることは、やはり自分が教えるという行為に重点が置かれていることで、その後で育てるということが考えられますが、育つということになるとこれはその本人の自発的な働きであるから教育とは関係なく、考慮の外にあるということになりがちです。しかし、深く考えるのでしたら、そのベースには、される側に潜在している自ら育つ力ということを無視することは出来ないということです。
これまではどうしても、する側の視点から発言されることが多かったことで、何を、いかに教えるかに重点が置かれがちになり、育つはおろか育てることさえ軽視される傾向が強くなるということです。される側から見るということは困難なことであり、これまでの教育論を見ると、教師が生徒に何をするべきなのか、何をしてやれるのか、いかにするべきなのかなどと常に教師から生徒への一方向の働きかけの姿勢が目立つようになります。